古事記 八十(ヤソ)くま手(で)の解釈

「古事記伝」 「八十と多くの隅々まを経ていきて、いと遠きところという意味で、そのこころざし給う(指し示す)ところは黄泉の国である。 ここの手はチ(道)であることを悟るべきである。」 クマをどう解釈するかですが、隅々とかいするか、遠くの辺境と解するかというところです。 宣長は黄泉の国を前提に解釈しているようにも思え…

続きを読むread more

日本書記、応神天皇二十五年 木満致(もくまんち)

木満致は三国史記にもでてくる。 三国史記ではガイロ王の二十一年に出てくる。 木キョウ満致とでる。 この人物はいかなる人物か。 百済人であるか、それとも日本人なのか。両記録に登場する不思議な人物である。 三品氏は日本の権勢を背景とする任那のやまとのみこともちの意としている。 さだかではないが、日本を行き…

続きを読むread more

宣長と自然

私は松坂を訪れ、周囲を散策したことがありますが、こんなところで生活し、研究に励んでいたんだと思いました。 そこは田んぼと山が連なる日本の原風景でした。静寂でそしてダイナミックなものがあり、そこに神々を見出した宣長を思いました。 人はやはりそのような大自然の中で過ごすことが想像力や明晰な頭脳を生み出すのかもしれません。 …

続きを読むread more